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平和への道(上)~ 戦争は過去のことではない 編 ~

平和への道(上)

~ 戦争は過去のことではない 編 ~

 

国際交流員 森下アンダーソン実砂雄

 

 

 

   先日、「(憲法)第9条 戦争の放棄」をめぐる安全保障関連法案が話題となり、我々は戦争のことを改めて考える機会がありました。70年間戦争を経験していない現代の日本人の方は、1945年に壊滅的な被害をもたらした岐阜、各務原、大垣空襲をどう思われるのでしょうか。総務省のホームページで公開されている「国内各都市の戦災の状況」(※1)をご覧いただくと被害の規模を十二分にお分かりになると思います。しかし、数回繰り返された各務原への激しい攻撃のデータが、残念ながら、一つも掲載してありません。

 

 岐阜空襲は、市街地や金華山周辺に集中していたとずっと思ってきましたが、郊外の方も被害を受けたことに驚きました。本荘神社(岐阜市敷島町)の境内に立ち並ぶ木々が爆弾の犠牲となり、今も代筆にて戦争の悲惨さを物語っています。新緑が生い茂る夏の日にお邪魔しましたが、木に刻まれている深い傷を見ることができ、「爆弾には眼もなく心もない」(※2)ということがよく分かりました。

 

CIRBlogBrazil70War1.jpg CIRBlogBrazil70War2.jpg ㊨ 代筆にて「平和な世界を築きましょう」

                                                                                                             ㊧ 損傷を受けた木(2015.7.21撮影)

 

 ブラジルでは、日本のアニメや漫画のブームと共に、「はだしのゲン」、「火垂るの墓」や「風立ちぬ」等を通じて当時の日本の状況が伝われています。また、ブラジルに渡った広島と長崎の戦後移民がおられ、原爆犠牲者によって、1984年に在ブラジル原爆被爆者協会(現・ブラジル被爆者平和協会)が設立され、日本政府から医療福祉の援助をいただいていると同時に、戦争・被爆に遭われた方による講演等が行われています。

 

 こうしたなか、ブラジルは第2次世界大戦とどんな関係があるの?とご関心を持たれますでしょう。簡潔に答えますと、ブラジルは連合国をサポートし、戦場(海外)へ戦士を送ったラテン・アメリカ唯一の国となりました。今現在は、戦争の面影や社会問題がほとんど残っていません。しかし、個人的によく理解していないことは戦後に登場する核エネルギーの利用です。

 

 1970年代には、ブラジルがドイツの原子力技術のノウハウを活かして原発プラント・アングラの建設に挑みました。これに対して、当時のアメリカ政府(カーター大統領)に大きく批判されたものの、1985年にアングラ1号機が完成され、今も稼働しています。既に大量の放射能汚染があったことは恐るべき話です。1968年に核兵器の不拡散に関する条約が調印されましたが、ブラジルが加盟国となったのはその30年後のことです。近年、ブラジルがイランの平和的核エネルギー開発を支持していることから、ブラジル「でも」非核社会の実現が程遠いものになるかもしれません。

 

 さて、戦争の終結から70年経とうとしています。依然として、北方領土問題、中国残留日本人孤児、従軍慰安婦問題や沖縄米軍基地などが解決されずに、多くの国内外の人々の意見の対立が生み出されています。これまでの戦争が遺した教訓から、今も今後も、全世界の人々が平和に暮らせるように、戦争が起きないことを願っています。

 

 

(※1http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/index.html

(※2http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/shakaikyoiku/kankeikikan/rekishi-shiryokan/siryosen/siryosen1/14-kuusyu-yokokubira.html



 

 

 

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